和辻哲郎の風土に西洋人と日本人の自然観に対する違いの記述があります。
西洋人は自然を制御していくものと捉え、日本人は自然と自分をなじませていくべきものと捉えています。それは桂離宮や修学院離宮の庭とベルサイユ宮殿の幾何学的庭園とを思い浮かべれば理解できます。
先日いつもの事ながら世の中に数歩遅れて桜広場の五分“散り”桜を見に行きました。そこの桜は新鮮ではあるのですが何かが違うなと思い、その後数日経ってわかりました。
桜広場の桜の配置設計手法は日本のそれではなく西洋の手法の踏襲だからだと気がつきました。
確かにグローバル化された無国籍風な高層都市幕張ベイタウンにはこの手法の方が合うのかもしれません。
しかしこのような桜の下では西行法師も
“願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃”
とは詠まないのだろうなという気がしました。藤原