今日の毎日新聞生活欄に“大皿盛りは要注意”という見出しが出ていて、我が意を得たりと思わず胸の中で叫んでしまいました。
食事とその形式は文化そのものです。モロッコなど風習の異なる国の食事を見るとまさにその文化が違うということが実感されます。どうも各国の食事風景を見ていますとアジア一体にかけての食文化は中国料理などその典型で大皿盛りが主流のようです。
自分の場合生まれ育った家は古く大家族制的なところがあったせいか個人皿にそれぞれの分を盛り分けていました。それが所帯を持つようになり、家事をろくにしない亭主としては案の定連れ合いの“食事は大皿を皆で取り合った方が楽しいでしょう”という一言に口を挟む余地なくいつの間にか我が家も大皿派に組み込まれていました。
子供の頃身に付いた感覚から子供が物心付くようになってからの違和感は否めず、大皿盛りは子供の食生活のしつけや成長に良くないのではとよく口論のネタにはなりましたが、所詮極たまに食器洗いをする程度の悪しき家庭人亭主の言などどこ吹く風と基本は変わることはありませんでした。
個人的には己の不徳のせいと自らを納得させていたのですが、日本の食文化は禅宗から端を発し、会席膳や茶懐石等を元にしていると思っていて微々たるとはとはいえ日本の住文化を担う住宅の設計者としての立場からは、かなり多くの家庭での大皿盛り偏重はどうなんだろうと気にはなっていました。
そこに今日の記事、針谷順子高知大学教授(栄養学)の「大皿盛りへの依存は、日本の食文化の崩壊につながる」とある。(詳しく5月15日毎日新聞朝刊?ホームページ等での閲覧も可?をご覧ください。)
この個人皿、大皿論争は子供の食べず嫌い、しつけ、栄養バランス等の面からもどこの家庭でもあらためて考えても良いのではとブログに載せた次第です。でも当家では口に出したらやぶへび、何が返ってくるか知れず、胸の中で積年の思いを晴らしたと叫んでいたほうが身のためです。