わたしは子供の頃からカタカナやアファベットに比べて漢字という文字が好きで、学生時代の歴史の勉強も世界史より日本史の方が頭への入り方が断然早いほどでした。
漢字は、象形文字で、それぞれ意味を持った小さなパーツの集合によって成り立っていて、目で見て意味がわかり、何かが表れているというそのビジュアルに魅かれているのだろうと最近気付いてきたのですが、それは建築に対しても一緒で、見た目の格好良さだけではなく、機能や意味を備えそれが集積してかたちに表れているデザインを求める趣向は、漢字好きと繋がりがあるのかもしれないと感じています。
そんな趣向ゆえ、新しい漢字や知らない言葉を知るとその言葉の構成を考えたり、潜んでいる語根を想像したりするのですが、一番慣れ親しんでいる自分の苗字についてはあまり深く考えることはありませんでした。ひょんなことから自分の苗字へ興味が向き辞書で調べてみると、といっても広辞苑を開いて説明が載っているほど自分の苗字(大庭=おおば)は意味深いものではないと思っていたのですが、それがまさか載っていたので驚きでした。
「オオバ」という苗字では、「大場」という字を使う人の方が多く一般的で、また庭という字を「バ」と読むのは苗字以外では聞いたことがないので前々から不思議に思っていたのですが、その謎が広辞苑を開いて解けたように思いました。
漢字では、同音異義語のように同じ音でも意味が違うものがありますが、それらの語源や発生元は同じというものが多く、例えば、「スム」という言葉でも、住む、棲む、栖む(居住を定める)、澄む、清む(濁りがなくなる)、済む(事が終わってすべて澄む)などの字があてられますが、それらは同根で、あちこち動き回るものがひとつ所に落ち着き定着するという意味で、また別に「巣」と同源でもあるようなのです。
辞書で、「オオバ」を調べてみると、そこには[大場・大庭]というかたちで二つの漢字が併記されており、その意味は、
1.宮中の紫宸殿(ししんでん)の前面の庭
2.寝殿造りで、寝殿の前の広い庭
3.広い場所で上演される晴れの能
とありました。この説明から推測すると、昔は広い庭を何か催しをするための場として使っていて、また広場は庭のような性格を持ち合わせ、つまり庭と場とのあいだには大きな区別はなく似た性格の空間として捉えていたため、同根のものとして音(読み)も同じだったのだと思われます。
庭というと今では個人所有のプライベートなイメージがどうも先行してしまいますが、昔の日本の、庭であり広場でもあった場所とはどのようなものだったのか、西洋の庭や広場とはどう違うのか、また場と庭に区別が生まれたのはいつ頃からなのか、それはもしかしたら、「庭付き一戸建て」という言葉が使われ始めた近年からではないだろうか、そんなことに興味が広がりつつも、ブログとしては余りにも長くなりすぎてしまったので、ここらへんで「バ」についての考察は終わりにしたいと思います。