桜の開花宣言が出ました。春になり、選抜野球をはじめ、色々なところで、いろいろな人の、数多くのことが新たに始まる季節になりました。そんなに見ていたわけではありませんが、冬期オリンピックでも、アスリートの活躍に若さを感じ、感動する若さとは何だろうと、飲みながら友人と、考えてみました。
感動を覚える選手の若さの要因は、言動が健気で、ひたむきで,謙虚で、労苦を厭わなく,感受性が強く、思い通りにいかなくても、人の所為にせず、自分を叱咤し,何度でも挑戦しようとし、思いを達成するためには自分が変わらなければと思い、何より周囲にとても気を使っていることではないか、となりました。 逆に若さがなくなってきていると感じさせる要因はというと、全てその逆で、言動が太々しく、気まぐれで、不遜で、何でもおっくうがり,感受性に乏しく,思い通りにかないと人の所為にし、自分の至らなさの自覚なく、自分を厳しく見つめようとしないまま安易に妥協し、自分を賭けての挑戦どころか、いつも他所の批判と勝手な解説だけで、事態の改善は自分以外の者が何とかすべきだと考え、あたりかまわず傍若無人に開き直っていることだ、となりました。
そう分って、じゃ自分はと問い、大いに怪しいとなり,次に廻りを見渡すと、最初から諦めているような人が多く,新たに踏み出そうとする意欲が見えず、そのくせ一見言葉使いは丁寧そうでいながら、内実不遜であることに気がつかず、既に年老いてしまったのでは、と覚しき人が、案外少なくない、ということになりました。しかも年齢的に上の人だけならまだしも、以外と年齢的に若いはずの人にも多く散見し、どういうことだろうと、話に花が咲きました。