15年前に設計した住宅の改修相談に行ってきました。最近このような機会が多くなってきました。そのような時の私の椅子は被告席に座っているかのような心境になります。何か問題があって呼ばれた時はまさにそうですが、別にそこの建主さんが責めるつもりでなくてもそうなってしまいます。住宅の設計には完璧はありえなく、ミスでなかったとしても、改修を考えなきゃならないということは、設計者の配慮や予測が至らなかった部分がないとは限らないからです。仮に全く以前の設計のためではなかったとしても、今の自分の目から見れば、その建物の中に、当時の未熟さが目についてしょうがないのです。力を入れて設計したものは余計勇み足や冒険していることも有り、必ずしもうまくいったものばかりとは限りません。その証拠として突きつけられて、そこに建物が存在していますから、まさに私の椅子は被告席になってしまうのです。
この住宅の相談では、外壁の塗装が必要ではないかとのことで伺いましたが、塗装がナノコンスーパーという木部に染みこみ、表面を固めて保護するタイプでしたから、その必要はないという意見を述べて、足場等を必要としない部分シールで済ますことで話は落ち着きました。二階浴室からの漏水も追い炊きの継手の不具合ということが判明できました。玄関ドアは三層パネルで作成していたので、さすがに傷みが激しく、替えることにしました。写真は取り替えたドアですが、未だ無塗装で、ウオールナット色ではどうかと提案しました。改修工事をしてくれた工事屋さんも、木製ドアなど、とても安くやっていただけるということで助かりました。
また、被告席ではないにしても、住まいという可愛い娘を嫁に出した親のような心境の部分もあります。嫁に出した娘の教育が正しかったか、十分だったか、あるいは違った環境で頑張っていてくれているか、しっかり役目を果たしていてくれているか、それを見舞う気分の場合もあります。何れにしても最初にその敷地を見る時のドキドキ感とは異なるドキドキ感があるものです。
今回の訪問では幸い、木材の生地表しに塗った外壁塗装が思った以上に頑張っていてくれて、庇も1m以上出していたせいか、10年以上経ったらもっと汚れて、傷んでいてもおかしくないのに、健気に頑張ってくれていました。この家の方の場合、当時の設計でそれなりに頑張って設計していたことを、とても評価して下さって、当時癒されてありがたかった、と言っていただき、建物(娘)ともどもほっとして帰ることができました。