新型コロナウィルスで考えたこと7「朝三暮四」

薫風の中、新緑が最も美しい時期

今、外の新緑がとても美しい。なのに世界は新型コロナウィルスの感染拡大阻止のため、一刻も早く対策を講じようと懸命になっています。少しでも遅れると、その後のダメージが倍々ゲーム以上になってしまう、という危機感を共有して、世界の殆どの国々が非常事態宣言を出しました。医療従事者はじめ関係者ともども誰もがこの戦いを乗り越えようと努力しています。私たちの事務所もリモートワークでなるべく在宅に努め、要望されるお客さんとはスカイプでの打ち合わせも始めました。このウィルスを押さえ込められない場合、半年先、1年先に人類が被る大打撃、というより自分が被る被害を国民一人一人が容易に想像でき、多くの方が非常事態措置に応じています。

桃の花の空遠く、月が地球がどうできるか眺めています。

 翻って、地球温暖化に対する手立ても、今すぐに必要な対策を施さなないと2050年、2100年には地球や人類がとんでもないことになるということは世界中の主だった人たちは皆知っています。それなのに、そんなに急がなくても、そこまでしなくても、いろいろな事情があるから、まだ少しいいだろう、などと対策を先送りしてきました。被害が及ぶのは自分ではなく、次の世代やよその国だからでしょうか。それとも想像力がそこまで及ばないからでしょうか。

 中国の春秋時代の有名な話で、サルの給餌をしていた宋の狙公という者が、経費削減で餌の栃の実を少なくしようと、サルたちに、夕方に4個あげるから朝は3個でどうだと聞いたところサルたちは怒り出したので、それなら朝4個夕方3個ならどうだと聞いたところ、サルたちはそれならいいと喜んだという話です。つまりサルたちは今この時、自分たちが良ければ、夕方になってどうなっているかに対する想像力が働かない、という話です。人類も時間概念が確立するまでは似たような状態であったようです。時間経過に伴った想像力が働くようになったのは文字の発明からでではないかと言う事です。つまりそれまでの伝承は口伝継承だったので時間概念が生まれず、文字での記録で時間の経過が視覚的に認識できるようになったとのことです。人間はどれだけ先のこと(時間)まで、どれだけ広い範囲の世界まで、リアリティーを持って想像力を働かせられるかが文明文化、いや人間の成熟や進歩のバロメーターなのかもしれません。設計もどこまで広くどこまで多様に、どこまで先を読むかで、出来の確かさを決める仕事なので、それが良くわかります。

 今私たち人類はどれだけ想像力があるか試されているような気がします。新型コロナウィルスの発生原因は諸説ありますが、直感的想像力を働かせると、SARSやMARS、エボラと数年おきに新たなウィルス感染症が発生していることから、人間中心の文明の発達が地球温暖化や異常気象を生み出し、自然との関わり方、今回は動物ですが、大きく変わってきていることに起因しているような気がします。自国ファースト、自分ファースト、と自分周辺にしか気が回らず、遠い国々のことまで思いやる空間的想像力が働かなっかったから、感染症があざ笑うかのように軽々と国境を越えて世界中に蔓延してしまいました。つい数ヶ月前までインバウンドだ、我が国に来い来い、と言い合っていたのが、今度は来るなという。感染症でとんでもない犠牲を払い、ひどい目にあってようやく、自国だけでよくても世界は成り立たない、地球は一つの器であることへの、空間的想像力がリアリティーを持って働き始めた気がします。同じことで、これまで先送りしてきている異常気象や地球温暖化、あるいは脱プラスティック等で、次世代への時間的想像力が働かず、未だいいだろう、それよりも今の経済発展だと言ってきた、我々人類はサルからあまり進化していなかった、ということなのでしょうか。

 生活に多少の変容が生じたとしても、もし曲がりなりにこのウィルスとの戦いを乗り越え、平常を取り戻すことができれば人類が一体となって問題を克服できる、という自信になって欲しい気がします。それによって人類も、自分さえ、今さえよければという狭い想像力から、次の世代やよその国の危機にも思いが至るようになり、しかも一体となって問題に当たらなければ克服できない、という広い想像力を身に付け、地球温暖化に対しても、経済回復を兼ねて足並み揃えて早期に対策を講じられるようになるのでは、などと希望を持ってリモートワーク、自宅待機を過したいものです。(藤原)