つつじが花盛りです。お陰様で、住まいの近くの季節感を満喫する日々です。
非常事態措置をいつどうなれば解除するのか、根拠となるデータを示せなかった政府の、指定感染症に指定したことや、クラスター対策に絞ったことなど初動のまずさや後手後手の対応が批判を浴びています。韓国や台湾を見れば事態は対処で変わることが見え、無理もありません。内閣が官僚の人事権を握る仕組みがこのような結果を招いたのではないかとも言われています。それもあるでしょうが、内閣も担当の官僚も一人一人は真剣に働いていて、こんな事態を招いたが、自分は間違ってない、悪くない、と誰もが思っているのではと推察されます。
ここで政府の批判をするつもりはなく、このような事態は他人事ではなく、社会の各組織、自分らの建築の業界でも色々な現場で生じている現象ではないかと思ってのことです。これは仕事の意識や捉え方が変わって、仕事をするということは、優秀な人ほど決められたことを勝手に変えることなく、指示された作業を遂行することだと認識していています。昇進する人が優秀と言われる職場では、職制を気にして職能意識が薄れるようになります。例えば、昇進する人は、上司の意向に沿うように務め、自分の仕事の究極の目的は、自分ではなく上司が見定めるものと捉え、自分で考えることを避けるきらいがあります。上司も、部下を成長させるべく任せて仕事をさせているつもりでいます。うまくいっている通常の組織では、業務がマニアル化やルーティング化し、上司も部下も職制を気にして、仕事(職能)の対象である現場の状況に鈍感になっていきます。
そんな中、新たな事態で予定していないことが起こった場合、誰も自分の仕事として捉えようとせず、押し付け合い、対応できない仕組みとなりがちです。職能としての仕事の究極の目的を意識している者なら、領域を広く捉え、ちょっとした現場での違和感も敏感に感じ取り、その違和感が重大な問題を引き起こすかどうかの予測ができ、打つべき時には早急に手を打とうとします。でもそのような事態で打つべき手は、誰もわからず、わかっても自分の判断が許される領域からはみ出し、越権行為になりがちです。上司に報告しても、予測能力のない上司では、余計な問題を持ち込むな、となり、重大な事態になるまで放置されかねません。
解りやすい評価の高い事例は、有名な国連難民高等弁務官の緒方貞子さんのイラクのトルコ国境の難民キャンプ地での、立場を超えた支援判断です。このような判断は、予測能力が高く、経験ゆえに見えるところも多く、また業務の守備範囲を広く捉えられるから変わってくるもので、今回の国の対応まずさも、設計者にとっては他山の石とすべきものかと思います。
今回の新型コロナウィルスが社会のあらゆるところに、新たな事態を生みだし、そこでの対応は、まさに予測能力が問われることになると思われます。
写真のような穏やかな凪がいつまでも続いて欲しいのですが。