前回「 馬込の家 」のブログ記事「馬込の家 もうすぐ完成 和室(茶室)」の掲載後に馬込の家は無事完成し、引き渡しとなりました。引き渡し時にはまだ残っていた襖や障子、炉壇等も少しして入り、茶室も完成です。今回は、茶室にある「 炉壇 」のお話しです。
「 馬込の家 」では、茶室としての八帖の広間と六帖の寄付が続き間となっています。畳は京間畳なので、関東間よりかなり広く感じます。
茶室として使われるので、炉が切られています。
炉壇 と 本炉壇 と 炉壇師
広間に炉。寄付には大炉があります。どちらも土でつくった炉壇で、最近では「本炉壇」といわれるものです
「本炉壇」と呼ぶのは、土製の塗り直しが必要な炉壇のことです。
現在は、金属製の炉壇が多くなっていて(少なくても関東ではほとんど金属製になっているようです)、その金属製と区別するために「炉壇」とだけ呼ばれていた土製のものを「本炉壇」と呼ぶようになったようです。
この本炉壇は、土を塗っていますので、使っていくなかで炉壇の壁面が炭の熱で焼けて色が変わってきます。(茶席ではその色の変化の風情を楽しむそうです)
そして、その色が変化した炉壇の壁面の塗り替えを毎年行うそうです。
炉を塞いだ5月~10月までの夏、風炉を使う時期に塗り替えて、11月には塗り替えが終わった状態で炉開きをします。
土の炉壇は、焼けて色が変化すること以外でも、釜などがぶつかって欠ける場合もあり、使用すれば汚れても来るので、どうしても塗り直しが必要になります。
その点、金属製のものは丈夫で、手入れもそれほど必要としない、安価でもあるので、金属製が多くなったのもうなずけます。石製の炉壇も昔からあったようですが、大きな石をくりぬいて炉壇の形にするのでつくるのも大変ということであまり見ないようです。
また、現在ではビルの中に茶室があることも多く、消防法等の規制で炭を使う炉壇を入れることが大変難しいということも聞きます。
そういったメンテナンスの手間や消防法等の規制で、東京など京都以外の地域では金属製の炉壇が主流になっていて、土の炉壇「本炉壇」すでにあまり見ないものになっているそうです。
結設計でも茶室として使える和室を今までも設計してきていますが、ほとんどが金属製の炉壇で炉を切ったか、風炉や置炉のみで炉を切らない、という形でした。
本炉壇を、左官でつくっているのは知っていたので、左官屋さんがつくっているという認識しかありませんでした。左官屋の中でも、特に炉壇の製作や塗り替えをされる職人を炉壇師というのですが、恥ずかしながら馬込の家の施主様の先生の京都にある御茶室で炉壇の塗り替えの様子を見学させていただくまで、炉壇師という言葉は知りませんでした。
その炉壇の塗り替えをしていた方が、炉壇師の片田儀斎さんでした。今回馬込の家では、施主様の京都の先生から炉壇製作の話を通していただいたことで、片田さんに炉壇と大炉を製作していただきました。
大炉
裏千家ということで、寄付きの六帖間には大炉が入りました。(写真は、まだ炉縁はない状態です)
大炉は、裏千家11代お家元玄々斎(げんげんさい)が北国の囲炉裏から考えられたもので、裏千家独特のものです。
囲炉裏を模してつくられ、寒い時期の暖房器具の役割も考えてつくられた炉ということです。
そのため、大炉は寒い2月にしか使われません。
寄付の大炉の大きさは、一尺八寸角。広間の普通の炉が一尺四寸角ですから、たてよこ四寸ずつ大きく、その分暖かい。
炉壇や畳、襖などの製作だけでなく、その後のメンテナンスが長い歴史のなかで続いていることが文化になって、その文化がその技をもつ職人を必要とする仕事を残している。そうやって技術面としてのバックボーンがあることで建築という行為が維持していけるのだと、今回の馬込の家を設計監理していく中で改めて感じさせられました。
(加藤)