最近ニューヨークタイムズに盛岡市が世界で二番目、ロンドンの次に「行ってみるべき街」として取り上げられました。そのこともあって9月26日火曜日の夕方7時半、NHKの番組クローズアップ現代で、盛岡市がなぜ海外の記者に取り上げられるほどの街になったのかが放送されるということです。
20年ほど前に新宿区の四谷から伊豆高原(伊豆の家)に移住した、釜石市出身の私共の建て主さんが、昨年盛岡市に再度移住しました。
理由を聞いたら、元気で活発に動けるときは伊豆高原も悪くないが、腰の調子も悪くなって、静かに暮らしたくなったからとのこと。10分も車で走れば、自然の真っただ中に入ることができ、生活圏が広くもなく狭くもなく、必要なお店や主だった公共機関も歩いて行ける距離にあり、象徴的な岩手山を始め、山々に囲まれ、北上川や中津川がゆったり流れ、やっぱり盛岡は気持ちよく暮らしやすい、と言うことでした。
(伊豆の家 | (株)結設計|東京・建築家|住宅・建築設計事務所 (yui-sekkei.co.jp))
実は、盛岡市では四十年以上前に、まだ京都と奈良以外、景観が問題視されてないときに、盛岡城址公園から岩手山が新たに建つビルで見えなくなるということで、何とかできないかと市民から問題視され、市が独自に景観調査をするということになりました。
その時、市の建築指導課で主事をしていた兄から、どこかいいコンサルを知らないかと聞かれ、友人が主催する「かいアソシエイツ」という都市計画事務所を紹介し、自分の紹介であることを秘したまま、市の他の職員たちに、数多くいたコンサルと同様に面接等で審査をしたら、友人の事務所が一緒に調査するに適切となり、極めて少ない予算で請けることになりました。私も出身地なんだから手伝えと駆り出され、景観調査の手法が確立されてない時期に、環境アセスメント等の手法を駆使したり、市民から好きな町の風景写真を募集するなどして、未だ一般的ではなかったワークショップなど試行錯誤しながら、そのお手伝いをしました。
その頃の街を上げての活動が、訪れたい街を形成する一端になったのではと思うとうれしい気持ちにさせてくれます。その後も彼は二次三次と調査をつづけ、景観条例に至る道筋を主導していきました。彼は盛岡市の調査の後、他の自治体からの依頼が増え、その方面の第一人者になっていきました。でも景観調査を最初に手伝った私を含めた仲間への気の利いた報酬は、大沢温泉への一泊招待でしたが、夜の宴会の翌朝入った川沿いの、雪の中の露天風呂が極めて印象的であったことを覚えています。
今も彼とは付き合いは続き、数年前には『暮らしの保健室』の創設者の方が手掛けられた「坂町ミモザの家」という訪問看護テーションの施設を創る際に、彼の設計のお手伝いもさせて頂きました。
坂町ミモザの家 | 株式会社ケアーズ(白十字訪問看護ステーション)公式ページ ❘ 訪問看護・在宅医療・福祉 (cares-hakujuji.com)
景観調査をした友人から今回のNHKの番組の予定を聞き、その時に「盛岡市がこのような評価に至ったのは、その頃の地道な関り方が実を結んだのかね」と聞いたところ、「いや、盛岡の市民性に依拠していると思う」とのことでした。
郷土愛というか、岩手山が見えなくなる、ということを問題視する市民及び関係者の何とかしようとする熱意や、本来抵抗しそうな建築士会等の共感や協力を含め、他所の地域とは違う何かが盛岡市の市民感情にはあったように思われるとのことです。
確かに、景観条例が未だ施行される前に、中高層建物の建築確認申請で提出された書類を、菓子折りと一緒に風呂敷に包んで、建築指導課の課長が、もう少し高さを抑えた建物にしてもらえないでしょうか、と法とは違う文化観に訴えて尋ね回り、それを考慮するオーナーもいたという、冗談のような話も聞きました。そのような市民意識が、又訪れたい街と評価されるまでにしたのでは、とのことです。でも彼が言うには、その当時、熱心に関わってくれた面々は殆どが鬼籍に入っていることが分かり、寂しいというということでした。確かに当時兄の下で献身的に条例づくりに働いてくれていた、私の高校同期の者も早逝し、今はいません。
やはり街は一朝一夕に出来上がるものではなく、自然の大地を基本に、人を育み育てる風土と、日々の市民の行いの積み重ねが、その町のあり様を創っていくんだなあと感じさせられる話でした。
クローズアップ現代「世界が絶賛!日本人が知らない名所▽外国人観光客が意外な場所へ」
NHK総合:9月26日(火) 午後7:30 〜 午後7:57
NHKBS1:9月27日(水) 午前5:30 〜 午前5:59