義父の初盆ということで、普段家のことを何もしてくれない、という評価を多少挽回すべく、盆飾りの手伝いをしてきました。そんな中写真のようなものを始めて見ました。近所の方が手伝いに来て、作ってくれたものらしいです。仏さんが、間違わずに自分の家に辿り着くように飾るのだそうです。真ん中の柱の上のランプのようなものは中に蝋を入れて13に日に火を灯すとののことです。昔は門のそばに二階建て屋根より高く立てたそうです。亡くなった人への思いと絆がそうさせたんだろうなと想像できます。初盆入れて3年続けて立てたそうですが、今は二年だけ、しかも二年目は一本だけのようです。
たぶん、各地の迎え火の替りなのでしょうが、各地いろいろな形に変化しているものなのだと、興味深く見てしまいました。
ちなみに今回手伝ったのは、下の写真で、仏壇の新盆用の前飾りの竹と斑入りのススキを裏山から取って来て、束にして前机の足に固定し、竹の上に縄を回し、ほおずきを載せて作るとのことで、よくわからないまま、お義母さんの指示の元、息子と作りました。
墓に迎えに行くとき息子に、このような形の行事はだんだんなくなって行くんだろうな、と言われ、確かになくなって行くだろうけど、はたしてその代わりの、文化として残るほどに、絆や拘れるものを、自分たちは今後作れるものなのだろうか、考えてしまいました。たぶんバレンタインデイのチョコや、クリスマスケーキのように、仏壇の脇にある銀の蓮の葉の飾り物のごとく、商魂たくましい業者に支えられたものが、形だけ踏襲されて残るのかも知れないと思ってしまいました。本物の竹やススキは間違いなく消えるのでしょうが、でも私には銀の蓮の飾り物を飾る前の方が自然でさっぱりしていて、美しいように見えました。