何でいまさら現場が楽しく感じられるのだろうと考えてみました。
最近の建築現場はいろいろなことがシステム化されています。その際たるものがプレカットです。つい10年ほど前までは大工さんが柱、梁の噛み合わせ部分(仕口)を数ヶ月かけて1本1本、手で刻んでいました。今は事前にコンピューターに記憶させ機械で加工して現場に持ち込まれます。棟上も写真のようなクレーンで1日で全体の骨組みを組み上げてしまいます。足場もかつては単管や丸太を現場状況に合わせて組み立てていましたが、今はピケ足場といって規格サイズの足場を継ぎ足して構成します。大工さんの手鋸(のこ)も殆ど電動になり、金槌もコンプレサー(圧縮空気)を使用したガンタイプになりました。製作道具だけでなく、建物も窓はアルミなどの規格サッシになり、浴室は規格のユニットに、壁下地も規格サイズの石膏ボードを貼り付けることですみます。建築作業の大概が規格に建物を合わせることのようになってきました。誰がやっても同じように出来るかのようです。このような度合いが進んでくると創り上げるというより、工場のパーツ製作取り付け作業になってきています。
メーカーや工務店ならいざ知らず、専門の住宅設計者の住宅はそんな中でも手作りの要素が多く残り、単なるパーツの取り付け作業でないはずです。しかしいつの間にか少しでも建築費を少なくしようとして、設計も監理も現場の状況に合わせて進めていたのかも知れません。経験が多くなってきますと、確実な住宅を求めているうちに、以前と似たような仕様になり、手馴れた内容の住宅になってきます。気が付いたらより良い納まりを模索するというような会話を必要としなくなっていたのかもしれません。かといって民家や数奇屋等の伝統的建築手法や工法、あるいは職人さんの手仕事に頼った設計は、今日では確かに数が少なく、いやでも現場でのものづくり的会話は多くなります。でも個々の状況と時代に即した提案をしたい設計者としてはそれに安易に寄りかかりたくはない気がしています。
ということで最近の現場で模索する会話があるということは、自分の設計が少しは新たな領域に踏み込んだ部分が増えてきたのかも知れないと一人合点して楽しくなっているだけかもしれません。