自分で独自に評価判断できないパート2

評価や判断のことを考えていたら、『あなたはなぜ値札にダマされるのか』?不合理な意思決定にひそむスウエイの法則―オリ・ブラウン/ロム・ブラウン共著(日本放送出版協会)に出会いました。日本人のデータではないので最初のテーマから大分離れますが。

そこには、人は合理的なようで不合理な意思決定をよくするとあります。失敗したスペースシャトルチャレンジャーの打ち上げも、事前にその危険性と原因を報告されていたのに回避できなかった、とか、損失を回避しようと思ったとたん、不合理でもリスク回避に偏った判断をしがちであると言っています(損失回避の法則)。また一つのことを続けていると執着心が湧いてきて、他の道を選べなくなる傾向があるとも書かれています(コミットメントの法則)。
そのなかで、さもありなんと思われるのは、自分の価値基準(先入観?)に惑わされるという項です。ワシントンの地下鉄で、世界でも指折りのヴァイオリンニストに野球帽をかぶらせ、ジーンズ姿で、ストラデイヴァリュウスで演奏をしてもらったところ、拍手喝采は起こらなかったとそうです。つまり人は正装、舞台、演奏者が誰かとか、ヴァイオリンの種類は何かとかいう事前情報で、演奏の質を判断していたとのことです。演奏の本質ではなく、自分の中にある演奏の状態に対する価値基準(の法則)に支配されていたと言うのです。

また、NBAのバスケット選手で、平均的に長くプレーを続けていた者は、ドラフト1順目で選ばれた選手の方が3.3年長くプレーをし続けていたと言う結果があるそうです。理性的に考えれば入団したらドラフト順位は関係ない実力の世界のはずなのに、コーチなど一番良く技量を見ている者ですら、最初のドラフトでついたラベルに目が曇り、評価のバイアスがかかり、素晴らしいプレーもドラフト順位以上に影響を与えないと言う結果があるそうです。学歴や学閥などもなくならないのはこの評価のバイアスの(法則)なせる業でしょうね。

その他色々不合理な判断の例が記載されていますが、日本人ならもっと比率が高いかもと思われる例があります。4人の内3人をサクラにして、客観的に誰にも分かる長さを判断させる質問をし、サクラ全員に間違った答えを言わせ、最後に被験者に答えさせたら、75%が正解を言わなくなる(グループ力学の法則)そうです。冤罪などでも聞く怖い話です。マスコミやメディアの評価など、よく聞く話です。もちろん建築も、特に雑誌など、まず編集者のバイアスがかかり、面白がる読者向けの評価で誌面構成をしがちであることからユーザーの評価基準とどうしてもずれてしまいがちです。それに惑わされると言うことは大いにあり得ます。

と、かようにひとの判断や評価は世界的に当てにならないと言うことです。まして辺境の地に育ち、右倣いの判断をしたがる日本人なら人を評価するということに自信がもてないのもうなずけます。何かと日々の忙しさに追いかけられ、状況に左右されっぱなしの自分では、自分独自と思っていた判断もなんか自信なくなってきました。せいぜい声の大きい意見に惑わされないように気をつけないと。