それはNHKの番組『追跡AtoZ小惑星探査プロジェクト“はやぶさ”』の放送翌日のことでした。「ああ、またやっちゃった」という連れ合いの洗面所の大きな声から始まりました。「もうレンズ流れてしまったと思う。気がつく前にだいぶ水を流してしまったから。」というよく聞いたせりふ、10ヶ月ぶりです。いつものように洗面台下の流しの排水パイプをモンキースパナで開け、風呂場の洗い桶にパイプに溜まった水をそっと落とし、その中にレンズがないか丁寧に見ました。ありません。やはり流れてしまったか、と思い、パイプを繋ぎ戻しましたが、はやぶさの探査プロジェクトを見た翌日です。諦めるのはやるべきことをすべてやってからでいい、1%でも可能性があるなら試みなくてはいけない。
流しの落とし口からもう一度見直してみました。排水口のゴミ受けの下辺りの暗がりに、水滴とも、レンズとも思しき光るものが見えました。ピンセットのようなものがあれば確かめられると思い、探しましたがありません。連れ合いに尋ねても「どっかあったような気がするけどない?」と本人はお出かけの身仕度で忙しく、このプロジェクトはもうとっくに諦めたのか、自分の仕事ではないと思ってしまったのか、気のない返事です。そのうちさっさと出かけて行ってしまいました。
残された探査員はピンセットが無いので、編み物棒を二本探し出して、それで取り出そうとしました。そおっと排水パイプ口奥の中に差込み、レンズと思しき光るものを挟み取ろうとしました。しかし触った瞬間、水滴が弾けるように一瞬で消えてしまいました。やっぱり水滴だったのかとがっかりしました。
もう諦め、道具類をしまおうと思いましたが、惑星探査はやぶさの総責任者川口教授の、すべての可能性が消えたかと思われた時も諦めず、僅かばかりの可能性がある限り、それを探っていたという話を思い出しました。先ほどの弾けたかも知れない水滴がもしレンズだったら落ちた可能性のあるパイプの経路を、改めて洗い落とし、確認してから止めてもいいのではと思い直し、パイプの中の洗浄を始めました。
一通り洗浄を終えて、すべての水が流れ落ちた洗い桶を丹念に水とゴミとを区分けしていたら、汚れた水の中にたまねぎの皮らしき小片のようなものがありました。もしやと思いてに取り出しましたがやはり植物の破片でした。はやぶさは大宇宙の60億km先かなたの真っ暗闇に浮かぶ小惑星イトカワから持ち帰って来たのだから、60cmのパイプの先の黒い水から探し出すミッションぐらいできなくてどうすると、己を奮い立たせ、さらにゴミと汚れ水を掻き分けているうちに、桶の底にビニールの丸い破片のようなものが見えました。もしやと手にとって見たら、紛れも無いイトカワ、もといレンズです。
やったー、探査プロジェクト成功です。ミッション達成です。諦めず続けてやったからこそ探し当てたレンズでです。
連れ合いが帰って来たら自慢しようと思いながら片付けていましたが、はやぶさのカプセルに物質が入っているかが気がかりのように、ふと気がついたのですが、このレンズは果たして今日無くしたものなのか不安にもなりました。連れ合いはなくすことがよくあり、これまでもその7割ぐらいは私が探し出し、日頃の行いに悪さと稼ぎの少なさをそれで体面を保っていたようなところがあります。もしかして数年前に無くしたものの可能性もなくはない。と不安になりましたが、はやぶさだって数年前のものを持ち帰っているんだし、このプロジェクトも数年前のレンズだとしてもそれはそれでやはり成功だ、と自分に言い聞かせました。
夕方、帰ってきた連れ合いに見せて確認したら、驚きながらレンズを目に嵌めてみて、今日無くしたのものだということが確認できました。短時間ながら久々に優位性をもたらした探査プロジェクトでした。