又内覧会の話題ですみません。でもこれは他所の話です。
先日友人の設計者から内覧会のファックスをもらいました。お互い設計したものを見せ合うことはよくあることです。そのファックスは事務所の誰かには見られていたはずなのにだれも興味を示さず、僕も行こうかどうか迷うほどでした。というのはその友人はよくオープンハウスを開き確かに刺激的ではあるのですが少し食傷気味でもあったからです。しかもよく見たらその情報は彼のところに来た他の設計者の情報で、なおさら乗り気がしませんでした。しかしその当日の土曜日、そこの近くの現場に行く必要もありついでに行くことにしました。
山手線内というから狭小敷地かなと思っていましたら、それは敷地が300坪ほど、延べ床面積も300坪ほど、多分建築工事費も数億円はしているであろうという建物でした。事業とも関連しているようでかなりの贅を尽くしたもので、めったに目にすることのない住宅でした。ちょうど今、ここまでの規模や高額ではありませんが似たような要素を持った住宅を設計していて、参考になるところもあり事務所の者にも見せようと、是非見とくといいよとメールを送りました。下の写真がその住宅と門です。
メールをみた彼も最初あまり気乗りしなかったようでした。しかし見た後の翌日、あれは事務所の全員に見せるべきものでもう少し強く伝えて欲しかったというのです。そりゃないよ、彼からそんなせりふだけは聞きたくないなと答えました。なぜなら伝えたメールで、奥さんにも見せてもいいくらいのものだよ、と強調して伝えましたし、又彼からパソコンの操作方法を教えてもらうとき、いつも彼はこうやってああやってやればできますよ、といとも簡単にできるかのようにサラッと言うだけです。それを僕は何時間もかかって終え、苦労することが多いのです。もう少し彼が常識と思っていることも、又結構大変であることをも伝えてくれてもいいのにと思っていたからです。
情報伝達は情報そのものだけでは相手に大事なことは伝わらないのかもしれません。僕も事務所の者も一枚のファックス内の情報からだけではその価値を見出せなかった事になり、かなりの質量を持たせて送ったつもりのメールでさえ伝わらなかったのです。送る情報によっては質量を持たせるべきかどうかよく考えて伝える必要があります。その質量感の方が情報より相手を動かすのかもしれません。しかしその質量感を相手に伝えることが難しいのも確かです。情報だけで動くかどうかは相手が先入観に囚われず受け取ったかどうかと、その者の理解力と想像力によるところ大きい気がします。とはいえ、誰をも動かしたい場合は内容よりその情報の質量感をつたえることが大事なのではという気がします。
日常でのコミュニケーションも同じであろうと思います。情報内容に質量を持たせて伝え合うようにしないと案外肝心なことは伝わってないのかもしれません。いつも身近の者に、一言足りないとか、一言多いと叱られるのもそのせいなのでしょうか?(藤原)