“見る”と”観る”

永平寺の枝垂桜、見る
栄福寺の枝垂桜、見る

?六義園(東京都文京区本駒込)の枝垂桜が人気のようです。

私も千葉で栄福寺の早咲きの枝垂桜をみてきました。夕方だったせいか華やかさより優美さが際立っていました。今年最初の寸暇の花見です。ただ見とれてきました。

自動車メーカーのホンダの創始者、本田宗一郎氏がものづくりで、”見る”のでなく”観る”ことの大事さを説いています。建築も同じかもしれません。

最近何度か住宅を案内する機会がありました。見る方は自分の敷地や家族条件等が同じものを見たいと思われるようです。確かに同じ条件のほうが参考になるのでしょう。でもその場合”見ている”かぎり、それがかなり似ていないと、自分とは合わないという印象を覚えることが多いのではないでしょうか。自分の条件が似ていると、自分のケースに合っているかいないかの確認作業になってしまい、”観れ”なくなりがちです。他所での、自分に合ったもの探しはありえず、それはないものねだりになりかねないからです。

私たちも仕事柄、機会があれば他人が設計した住宅や建築をよくみます。最初は素直に”見て”いますがいつの間にか”観て”います。一瞬見て、ちょっとでも新鮮な何かがあれば、すぐ、なぜ?となって観てしまいます。それは美しい場合も逆の場合もとにかくあれ?という印象を覚えるとすぐ”なぜ”となるのです。職業柄自分の中に建築は通常このような場合はこうなるはずというものがありそれと違うと”なぜ”となるのです。

皆さんも参考に住宅をみて歩くのはできれば自分の家の計画案(間取り)が提案されてからみることをお奨めします。自分の家の場合と同じかどうかの確認だけでなく、違った場合もなぜ違うのだろうという視点がいろいろなことを考えさせ、より深く見るようにさせるからです。

“見る”を”観る”にするのは”なぜ”です。なぜ美しい、あるいはなぜ違和感を覚えるのか、それを感じさせるものが何なのかに関心が移った瞬間、”見る”が”観る”になるはずです。”なぜ”と一緒にみると、作り手の意図や価値観、あるいは考え方がみえてくるはずです。少しでも疑問が残ったら、というより早合点していることが多いですから、設計者にどんどん質問することです。その方が設計者もうれしく、”観て”くれていると思い、喜んで説明してくれるはずです。

特に私たちの設計は、付加することで良くしようとするのでなく、また機能を削ぎ落としてみえなくすることでもなく、むしろ機能を確保し、性能をあげつつそれを見えなくする努力をあらゆるところでしているからです。特徴を出そうとするのではなく、消そうとすることでみせたいものだけをみせ、すっきりした印象を残し、そこで生活する方の個性が出やすくしています。そのため私たちの住宅をみても案外気になるものがなく、見えないから視線が何気なく通り過ぎることが多いはずです。私もきりがないのであまり説明をしません。見ている方がどこでも、あるいは黙っていてもそうなるのだろう、と思った瞬間私たちの意図が見えなくなる可能性があります。あるはずのもが見えないと気づいた時私たちの考え方が見えて来るはずです。なぜの質問を歓迎する理由です。

でも、桜は何も考えずただ見てその感動に浸っていたいものです。

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